ほんね

時系列は変わってしまうのですが、これまでに書いたものもこのブログに反映させようと思います。そのうち終わると思う。

誰に何を言われたって構わない、と思える時と、さすがに嫌なコメントを見ちゃった時は本当に気落ちします。
人の良いところをみる、とか色々わかって入るつもりですが、私はそんなに強くない。

パターンはいくつかあって、見ず知らずの人の中傷、仲間的存在から愛のない何かがあった時、完全に私のミスで指摘があった場合、などなど。
最近は色んなことが重なって、もうこういう発信を続けるのをやめた方がいいかもと真剣に考える瞬間もあります。

まず、この政治の世界に私は足を踏み入れたつもりではなかったのだけれど、どこに地雷があるかわからないし、そもそも論理的ではないので、会話が通じない場合が多いことがわかりました。これは、政治活動をしている人の平均年齢が高いことからくるジェネレーションギャップもあるかと感じています。
そして、すごく噂話が多いのも特徴で、有る事無い事色々言われていることがわかりましたし、またその有る事無い事で評価する人もいる様です。
帰国子女ってことを言わない方がいいとか、どういう意味なのか?
私自身のアイデンティティを否定していると言われるようなもので、たとえ親切心だとしても驚きました。
私ははっきりいうけれど、国籍も日本にも愛情があるけれど、中身のうちの一部はイギリス人の部分が大きいです。社会でいろんなことを学ぶ時がイギリスなので、全部イギリス式。それを全く悪いことだと思っていない。でも日本の愛国者から見ると、それは悪いこと?

以前は再生回数が多くて、コメントが読み切れないほどにくるような動画も多かったので、気にならなかったことも多かったのも事実。
今は、ライブ配信やプレミア公開中にも表示されていないということがわかり、シャドーバンの最中であることも判明しました。だから、余計にコメントひとつひとつの重みがある。
通常、コメントは、ほとんどのものはその議論や論点についてが多く、しかし、その対象が私の場合も多く、今日来たコメントは非常に残念なものでした。しかも、そんなこといちいち書くなんて暇だなぁと思います。
もしかするといちいち反応する私も実は暇なのか?今書きながら自分にそんなツッコミを入れています。

コメントは私に対してのものはほとんどが応援だったりするので、そうでないものが来ると、うっとなる。
たとえそれが工作員であろうとなかろうと、心無いコメントは悲しい。

以前も集中的にあんまり読みたくないコメントが来たけれど、それは私にも非があって、伝え方が悪かった。それはコンテンツ作成者としては真摯に受け止めるべきで、ただただ未熟さに反省だ。そういうのは良いのです。

最近、いろんな角度からいろいろあって、少し疲れている。
そのうちの一つは、嫉妬だと思う。
だから、やっぱりそこは比較から来ているなぁと思います。
私も人格的な否定をされると、どうにもならなくなります。

私はなるべくオープンでいたいけれど、そういうわけにもいかないのかなぁと感じます。

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