楽に生きるためのヒント 他と比較をしない

誰だって楽に生きたい、常に笑っていたい。でも喜怒哀楽があって、人間は感情の動物だと父は言う。
人の苦しみは他人との比較から始まるということ、これが一番しっくりくる。
人と比べず、昨日の自分と比べる。
自分の器のサイズを認識して、できることをやる。

私は英語だってできない東洋人だし、そもそも比べたって仕方がない。笑
そもそも話に客観性のある先生が多かったから、生徒同士を比較せず、そのアイディアや客観的事実を比較していたから、学生時代はとても楽だった。
実は論文を書くことに苦手意識があって、一度友達に見てもらった(proof read)ことがある。でも結果、私の拙い英語で書いた論文の成績の方がネイティブの英語の友達の論文よりスコアが高いことがあって、中身で判断をする先生の採点の仕方に驚いた。

イギリスで働くということはプロ意識は求められるものの、対等に接するベースもあるし、何よりも業務内容がはっきりとしている。だから、評価もしやすくされやすく、全体的にはすごく楽だった。日本にもあるところにはあると思うのですが、でもイギリスにはどこにも秩序みたいなのがあって、ある一定のルールを守るべき、という、だから環境問題やLGBTに関しては左に寄ってしまったり、でも生きやすい社会ではある。しかし、人の記憶は美化されているものなので、それなりにまた違った問題点などもある。

私はいつも動画で言っているように、完璧な人間なんて存在しないと思っています。だから当然私も完璧ではない。
とはいえ、できるだけ一次情報を集めて、自分の頭で考えられる様になるべきだとも訴えている。

一次情報とは〇〇さんがこう言っていたということではない。
自分の目で見て、耳で聞いて肌で感じて確認する。

最近、噂話や、人の価値観や考え方、誰かがこう言っていたということに振り回されている話を聞き、またそれによって発言権を与えられない、ということに驚きます。
〇〇さんがこう言っていたから、そうなのだと思い込む、これはある意味マインドコントロールされているということ、洗脳というと少し強すぎるけれど、私の母や母の世代は典型的な例です。
よく言うのはNHKが言ってるから、と何かを信頼し過ぎること。

私はお天道様の存在を信じています。
商売人の祖父はいつも神棚を大事にしたし、チーンと朝4時とか5時に鳴らして、またランチタイムにも鳴らす、ご先祖様を大事にしていた。祖父は祖父のお母さんが通ってたというだけで、お寺に800万円もの銅像を寄付していたし、近所の神社には祖父の名前の御手洗がある。
母はお正月の初詣でみんな小銭を投げているのに、気前良く1万円を投げ入れる。
だから私は、見えない存在はいると思うし、意味もわからず怒鳴られて、理不尽なことを言われても、どこかで神様は見てると思う。

先日私の提案であることがあり、私の名前も出されましたがその部分は自主カットしました。誰の提案であっても、本来の目的が果たせればいいと私は考えるし、それが自分のアイディアであったことを余計に宣伝したくない。
でもきっと、したたかな部分が無いから誤解も受けるのかもしれない。

私は英国で教育を受けているので、エビデンスや、どうしてそう思ったのかの理屈や背景を求めます。でも日本の人にはそういうことはどうでも良いみたいです。
それに、無礼な人がたくさんいることに驚きます。
少なくても、言い訳がましくても先程はすみませんでしたと謝る。だから英国の同僚は話も長いし、ずっと喋っている。

私が本当に何かに対して行動を起こす時は、いきなりではない。
いつも最初は自分が悪い、自分が間違っているという概念を植え付けられる、それが日本の教育であり社会のシステムだ。しかし、少し時間が経つと、あれ、私悪く無いよなと思う。そうすると、ふつふつと、次からその問題に対する態度が変わる。そういうことって多いなと思う。
それは、私がイギリスに行くことを頑なに決めた時もそうだし、発信をしたのもそう。

話が飛んでいるけれど、他の人との比較はしない、理不尽なことがあってもお天道様に預けて割り切る習慣化ができたら、きっともっと楽に生きられる。

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